『トイレの話をしよう─世界65億人が抱える大問題』

 今日は、本のご紹介です。



http://www.amazon.co.jp/%E3%83%88%E3%82%A4%E3%83%AC%E3%81%AE%E8%A9%B1%E3%82%92%E3%81%97%E3%82%88%E3%81%86-%E3%80%9C%E4%B8%96%E7%95%8C65%E5%84%84%E4%BA%BA%E3%81%8C%E6%8A%B1%E3%81%88%E3%82%8B%E5%A4%A7%E5%95%8F%E9%A1%8C-%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%BA-%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8/dp/4140813946

 ちょっと長い文章になりますが、トイレや下水に興味のある方は、ぜひ読んでみてください。
 2009年9月発売ですから、多少古くはありますが、当時、この本はすばらしいというネット上の書評を見た私は、図書館の新刊コーナーに燦然と輝いているこの本を見つけて、迷うことなく借りました。 
 
 職業がら、トイレや下水の話には興味があります。北九州市にある便器製造メーカーのTOTOには、3回ほど工場見学に行まして、そのとき立ち寄ったトイレの歴史博物館で、トイレミニ知識みたいな小冊子も、残らずもらって帰ってきました。
 ローマ時代の遺跡から広範囲にわたって水洗トイレの遺構が発見されたのは有名な話ですが、その小冊子には、その他の遺構はじめ、日本の弥生時代にはこんな感じ、江戸時代はこんな感じと、便所の変遷についてイラスト付きで簡潔にまとめられています。
 ところがそこに書かれていた、「中世とは、公衆衛生に関して退化した時代」という一文に、私はショックを受けたのです。
 停滞ならともかく、退化とは……。
 つまり、せっかくローマ時代に花開いた上下水道の技術や概念が、その帝国の滅亡とともに滅び、すたれ、その後復活をなしとげた国はなかったという逆行の歴史をたどったわけです。
 
 そのときに感じたのが、人々はなぜ公衆衛生にもっと意識を傾けないのだろうということでした。
 でもそれは漠然とした疑問だったし、公衆衛生という言葉にも、私はまだ馴染みが薄かった。

 トイレの歴史に話を戻すと、欧州や米国で水洗便器が次々に開発されるようになったのは1800年代で、つい最近のことと言えます。
 TOTO(1917年創立当時の社名は東洋陶器株式会社)の創立者である大蔵和近が、欧州に行ったときに水洗便所を見て感動し、日本にもこのシステムを導入したいと考えたものの、当時日本で下水施設を整えるには費用がかかりすぎるため、なかなか普及には至らなかった。
 結局、第二次大戦後、米国の干渉によって、ようやく本格的な下水道整備がはじまり、その後、公団住宅の建設ラッシュとともに、水洗便器は一般家庭に広く浸透するようになった。
 ざっとご紹介すると、だいたいこんな流れです。

 そして、今や先進国は、下水道の施設が日本と同等、あるいはそれ以上に整っている。と、根拠もなく思いこんでいた私は、今回「トイレの話をしよう」を読んで、またまたショックを受けたのです。
 先進国といわれるアメリカやイギリスが、非常に不衛生な環境を、じつはどうすることもできずにいた、そして今でも公衆トイレは不衛生のきわみにあるため、公衆トイレそのものを廃止する方針がすすみ、お年寄りが外出できない……実態は、本をお読みいただくのが一番でしょう。

 筆者はそれら先進国の下水道に潜り込みます。トイレを求め、公衆衛生事業に関わる人を求めて世界中を巡ります。
 インド、中国、バングラデシュ南アフリカ、スラム街。
 そこで見たコレラの実態、寄生虫の繁殖、根強い身分差別、職業的な貴賤、信じられないくらい不衛生な現場と、そのために命を落とす子供達の多さ。
 それらを、多少の怒りと悲しみをこめつつ、だけどけして感情的でも感傷的でも悲観的でも楽観的でもない口調で描き続ける筆者ローズ・ジョージという女性の、力強く活発なさま。
 
 彼女は言います。
「わたしたちは、どんどん無知ではなくなり、いいわけは通用しなくなる一方だ。公衆衛生がいまいちばん必要としているのは、その実態に光を当てることだ」
 そして、国連もいま、
「そろそろ糞尿について話し合うときがきた」
 と感じている。

 読み終えて一番印象に残っているのが、野外排泄があたりまえの世界に生きている住民に、公衆衛生の重要性と必要性を説得するには、話の持って行き方をよく考える必要がある、つまり最も大事なのは「話術」である、ということでした。
 先祖代々、野外排泄をしてきて、それが悪いことだとはなんら思っていない人々に、「それは不衛生だから改めましょう」といったところで、本当の理解が得られるはずがありません。せっかく作った簡易トイレも、手入れする人がいなければ使い物になりません。手入れには労力がかかります。住民が心から「必要だ」と思っていない施設に、手間ひまをかける道理があるとは思えません。お金をかけて施設を作っても、使う人が「便利で快適だ」と思わないなら意味がないのです。

 そんな彼らが、環境を改善したいと望むように仕掛けるには、まず「話術」による円滑なコミュニケーションが必要です。その上で、下準備や根回しののち、場合によっては「力づく」の作戦を取ることだってある。でもそれは、あくまでも最後の手段であって、力づくで敢行した結果、吉と出るか凶と出るかは、博打のようなものなのです。

 公衆衛生は、つまるところ「自分の排泄物が、その他全員に及ぼす影響」を考えることができるかどうかという、いわゆる文明化をはかる尺度とも言えます。
 その観点から見れば、先進国と言われている国に住む我々も、けして文明的であるとは言えない行為をしています。
 わたしたちは、野外排泄を習慣としている人々を指導できる立場だなどとは、けして言えない──。


 この本は、そんな内容です。
 人間は食べ物と同じに、糞尿にも興味があります。子供は糞尿の話になると大騒ぎの大盛り上がりです。それだけ関心があるのでしょう。たとえそれが嫌悪感をともなうものであろうと。
 せっかく興味があるのだから、なぜ嫌悪するのだろうと、そこを考えるだけでもいいかもしれません。
 なにせ日本では、下水施設が整っている地域では、自分の糞尿がどう処理されているのかさえ知らない人が増えているのが現状ですから。

 最後に。
 筆者のローズ・ジョージは巻末にこう書いています。

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 この本の執筆をはじめてから、わたしは自分の行動が変わってきたことに気がついた。マンホールに目を留める、舗装された庭を見て顔をしかめる。使用済みの油を花壇に流すのは、油で固まった下水管を覚えているからだ。必要がなければ、すぐにトイレの水を流さず、それを不快と感じない。これは衛生の専門家が「行動変容」と呼ぶものだ。
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 そして訳者の大沢章子さんのあとがきです。

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 訳者自身、心がけが変わった。たとえばみそ汁は食べきれる量しかつくらなくなった。下水処理にかかわる方々の努力を目の当たりにし、一杯のみそ汁を排水溝に流すことの罪深さを実感したからだ……
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 公衆衛生については、潔癖すぎるのも、気にしないのも困ります。
 なにより、上から目線で強制しては、まとまる話もまとまりません。ウォシュレットのように、「清潔になって気持ちいい」ってことを、使うことによって実感してもらい、それが「良い」と思った人たちの想いによって、世界に広がっていくのが理想だよねと、私の知人は言っていました。

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